BJJとJudoと。
最近、柔道に関するこんな記事を読んだ。別に柔道に詳しいわけでもないけれど、軽く紹介。
国際柔道連盟は、この15年ほど、ルールを次々に改正し、そのルールを厳守させることで柔道を変えてきた。その結果、アスリートたちが混乱し、柔道の古典的な技がごっそり消える事態になっている。
ルール改正の目的は、柔道という玄人好みの格闘技を、もっとテレビ映えするものに変え、国際オリンピック委員会(IOC)の委員に気に入ってもらうことだった。だが、その試みは完全な失敗に終わった。結局、ルールがどんどん増えたせいで、柔道はかえって一般人にわかりにくい競技になってしまったのだ。
柔道の五輪中継や、世界選手権のYoutube無料配信をたまに見るけれど、
ルールが変わりすぎて、僕自身いまだに細かい部分がわからないし、なんとなくのビジュアルでみるしかないのは事実。
いまや柔道の勝敗は、難解なルールで定められたポイントで決まることが多い。鮮やかな一本で決まることは珍しくなった。それは2023年5月におこなわれた世界選手権(ドーハ)の100キロ超級の決勝を見ればわかる。この試合では、フランスの柔道家テディ・リネールがロシア人柔道家と対戦したが、審判の判定が覆されたりした結果、最終的には両者が優勝ということになった。
全然知らなかったけど、両者が優勝とかあるんだ。
後編の記事も興味深かった。
「それはあります。いまのルールでは、簡単にはいきません。ただ、不可能でないことは私が示しました。理想を言えば、柔道は、もっともシンプルな形で闘うのがいいと確信しています。『始め』の宣告から始まり、技が決まって『一本』となるべきです。
いまは禁止事項や罰則ばかりです。これでは古き良き柔道ができません。組み手争いが多くなっていますし、勝ち負けが『指導』で決まっています。最悪なのが、これが見ている人にとって面白みのない、つまらない柔道になっていることです」
柔道選手自身が、”つまらない柔道”と言ってしまっているぐらいだから、
そうなんだろうなと。
「いまは選手の多くが、勝つためにネガティブなやり方をしています。技で圧倒できないので、相手のよさを消していきます。相手の弱点を狙うので、その弱点を見つけるために何時間も映像を見ます。本来なら、相手がいい闘いを仕掛けてきたら、私はそれに応じるために、これまで以上の力を出すことを余儀なくされます。そこが柔道の美しいところなのです。それが柔道の根本精神である自他共栄なのです」
確かに、なんか投げを狙うというより、オリンピックはお互い牽制しているようなイメージがあるかも。
反則を誘う感じというか。
ルール改正で寝技が強くなった、という話を聞いたことがあるけれど、
実際どうなんだろう?
ブラジリアン柔術も、良くも悪くも発展途上なスポーツだけれども、
変に複雑になって、細かい部分の勝負ばかりになるのはどうもな~という感じ。
海外だとサブミッション・オンリーの試合も開催されるそうだけれど、
日本だと少ないのはおそらく尺(時間)の問題なのか、安全性とかそういう問題なのかどうなのか。
由緒正しき(?)柔道もまだまだ色々改善点はあるんだな、とふと思った記事でした。
今日はそんな感じで。
かわなみ